50代独身無職になりました

50代独身無職。最愛の父の死後、おひとり様の日常。

読まれるブログを止めた

読まれるブログを目指そう!

っていうのを止めた。

 

他にも「愛されるため」だとか
「人気になるため」だとか
なんだとかかんだとか。

なってないから関係ないけれど
目指すのを止めた。


他でブログを書いてた時は目指してた。

そうすることが正しく、人に求められて
こそナンボ。と思ってた。


とどのつまり
ダメな自分をなんとか、良くすること。
に忙しかった。

自分を好きになれば上手く行く。だとか
潜在意識を書き換えて愛される。だとか

呼吸をするように今の自分を
「改変しなければいけない欠陥品」として
レッテルを貼って、常に緊張してた。

ネガティブな気持ちに蓋をして、無理に
ポジティブアクティブな人を作り上げて

「わたしちゃんとしてるよね?」と
自分ではないどこかの他人に確認を取り、
許可されてやっと安心感を得られる。


ちゃんとしてないから、ちゃんとしてる
ようなナニカを被って生きる。

そうしないとひとりになってしまう。
生きていけなくなる。


認めてもらえないといけない。

元は、両親を安心させたかったから
がんばって演じていたように思う。

わたしちゃんとやってるよ。

すごいね、えらいね、できてるね。
そう、褒めてもらいたかっただけ。

「ありがとう」と言ってもらえたら、
自分を価値のある人間に思えるから。

そんな人になれば、きっと
しあわせになれるって信じてた。

そんな興奮と喜びに麻痺して、
自分の素直な気持ちや感覚はおざなり。


まるでこんな。

SNSで楽しそうなあの人の家の中、
めちゃくちゃ散らかってんのね。


...疲れた。
それらをしても、結果は出なかったし。

もう、なにも目指さなくていいよ。と
自分に言ってあげたくなった。

読まれるために面白い記事を書く。
愛されるために何かを提供するってなに?

それらを必要としてるのはわたし自身。
なのにどうして外ばかりに力を注ぐの?
今のわたしを無視しないでよ。

面白くない自分でもいいじゃない。
外で評価されなくてもいいじゃない。
ネガティブになるのは自然なことだよ。

素に近い自分のままで
「あ、いいね君!」なんて思う人が
ひとりでも居てくれたらいいじゃない。


50代。
あと生きたとしてもせいぜい20~30年。

や~めたっ!
宣誓!や~めた!いち抜ーけたッ♬


目指すものは何もないまま
面白くもないわたしのままブログを書く。

評価やいいね。社会的価値と
自分の存在価値を結びつけない。

口では簡単だけどずっとしみついた癖だ。
うっかりすると戻ってる。

戻りながら、気づいたら自分の「素」に
還っていくことだけ意識してみる。


読まれるブログを目指すのを止めて
自分に向けて書く。

もし目指すものがあるとしたら今は
「これでいい、これがいい。今がベスト」

それと美味しい物にときめく自分を
「いい💗かわいい」と思えることかな。

プッチンプリン、好きだったなぁ。