先日、高校時代の同級生たちと
んー十年ぶりにランチをしてきました。
20年ぶりくらいに会う子もいたので少し緊張したけれど、それは杞憂に終わり、何気ないお喋りと美味しい食事を楽しめました。
彼女たちの子供たちは都内に就職してるだとか、秋田に就職して一人暮らしで働いてるだとか、高校生の子は家にいて何もしないだとか話してる。
正直子どものことなんて全くわからず蚊帳の外だけど、嫌な気分じゃなかった。
というか、みんなすごいと思って聞いていた。
・離婚して子供2人を育てながら、正社員で頑張ってるE実。
・他県に嫁に行き、旦那の工務店で働き、女の子2人を都内に就職させたY子。
・JK時代学校始まって以来の問題児。結婚し家を建て、旦那の母と同居しながら役所関係で働き、子供2人育てながら今では館長を務めてるK子。
そしてわたし...50代独身無職のおでけけ子。
劣等感まみれのわたしはどうしても比較してしまうので、彼女たちのエリートぶり(ちゃんと生きてる感)に寂しさを感じてた。
自分がいつまでも同級生に追いつかない。という一抹の孤独。
大げさにいえば、世界に置いてけぼりにされるような感覚。。
この感覚、昔も味わったことがある。
それは小学生の徒競走の時。
自分が足が速いと思ったら、列の前に並び、遅いと思う子は後ろの列に並ぶ。
という、自己申告制で学年女子の徒競走順番を決める回があった。
おでけけは足が遅いので当然一番後ろの列に並ぶ。
同級生たちが駆けていく中、ついに一番最後の列のスタートとなる合図が鳴った。
「位置について。よーい、バーン!!」
中には明らかに「速いけど遅いチームに来ました」な子もいる。
ずるいなあと思いながら、一生懸命に走った。
おでけけは遅いチームの中でも※ビリケツ※だった。
※下から2番目の意味※
おでけけの実力ではどう頑張っても憧れの旗、
1番、2番、3番を持つことは出来なかった。
同じ学年なのに。
わたしはいつまでも彼女たちに追いつかないのだ。
そんな思い出とイメージが浮かぶ。
まさに今のわたしにとっての自己像と同じだ。
どんなに頑張っても追いつかずに絶望するなら、努力しても無駄だ。
実際努力して無駄だったことばかり覚えてる。
ランチの後、友だちと別れて家に帰った時なんだか悲しくて泣いた。
ひとつきり自分の悲しみや孤独を受け止めたのち
比べて凹むのはいつものパターンなので、こう思うことにした。
すごいなあと思う友だちたちと、同じ場所にいるってことはーーー
わたしもすごいのかもしれない。エリートの端っこにいるのかもしれない。と。
だって全く別の世界の人なら、逢うことさえ出来ないと思うから。
自分への慰めだけみたいだけど、わたしも「すごいと思う一般人の中にいる。」って無理くり思って見ることにした。
思考の矯正も時には必要だよ。なんて思いながら。
そういうことにしてみる。
青くて澄んだ秋の空と風を感じながら。