50代独身無職になりました

50代独身無職。最愛の父の死後、おひとり様の日常。

あの人に言いたいことは…

50代独身無職、おでけけです。


突然だけどおでけけには、
約半年ぶりくらいに交流する仲間がいる。

彼はわたしより年上で、心理カウンセリング
スクールで出会ったクラスメイトだ。

その世代で一人娘を育てる時に、
「育休を使った」という猛者。

彼の父親は絵に描いたような暴力親父で、
悩む母の背中を見て育ったそうだ。

その世代、男が育休を取るなんてことを
やってのけたから、子育ての辛さもよく
知っていると言っていた。

おでけけの甘ちゃんな生き方とは違い、
人生、揉まれまくってきた人だと思う。


スクールのクラスメイトは、
30代から50代まで合計30名ほど。
年代はバラバラだが仲間となった。

ビックリするほど波乱万丈な人や、
捻くれた色んな人がいて、それは
なかなか刺激的で楽しかった。


彼とはカウンセラースクール時代はほぼ
会話をしたことはなかったが、ひょんな
事から少しずつ色々話すようになった。

そしてお互い恋愛感情は皆無。
という有難い存在だ。

時々ドライブに行きリフレッシュしたり、
相談に乗ってもらったりもする。

そんな彼と久しぶりに話した時、
カウンセリングで何度も何度も聞いた
ある言葉も、久しぶりに思い出した。


それはーーー

他人に言いたい言葉は
自分に言いたい言葉。

ってやつ。
カウンセリングの鉄板だった。

他者を通してるけれど、結局は
自分に言っている言葉だよねって。


「俺、これ忘れないようにしててさ。
結構さ、基本だよね。

仕事で腹が立った時とかさあ。

相手に言いたい言葉を自分にかけて、
「ああ、なるほどな」って気づくこと
多くてさあ。」

クラスメイトの彼と話してわたしも

「そうだったね。
それいっぱい聞いてたのにな。
すっかり忘れちゃってたわ。」

となった。

相手への文句や批判のベクトルを
自分に向けると気分が良くないし、
すべてがすべてとは言えない。

だから

相手が凹んでるなって感じる時や、
かけてあげたい言葉が湧いた時は、

自分に言ってあげてみることにしている。

その言葉は自分の心を緩ませるのか、
逆に緊張させ、罪の意識を深くするのか。


どんな気持ちになるのか。


少しでも自分の心が軽くなったり、
ほっ。とした時、その言葉を採用する。


自分自身、罪の意識とダメ人間と
不幸の真ん中に置いてしまった時

自分ではなく、自分の愛しい大事な誰か。
という客観的な立ち位置にして声を掛ける。

たとえばーーー
「いつも無駄遣いしてしまい後悔ばかり」
「将来への不安ばかり考えては眠れない」
「やらなきゃいけない事が出来てない」

そんな緊張感と罪悪感を感じる人が
自分の大事な友人や仲間だったとしたら。


なんて言ってあげたくなるだろうか?と。

その人に言いたいことは実は
自分自身に言いたいことだって。

そんなことすっかり忘れていたから、
楽しい実験のように、今のわたしを他人にして
どんな言葉が湧いてくるのかやってみた。


・自分をダメだと思っている他人。

・なにか変わらなきゃいけないのに、
決断出来ないことを責めてる他人。

・親の死の悲しみをどうしていいか
わからない他人。

・自分のやったことが全て裏目に出る
と思い込む恐怖に囚われてる他人。

子宮筋腫の病気、手術の決断が
出来ずに薬でなんとか誤魔化す他人。

・女性として価値がないと感じてる他人。

・ネガティブなことばかり思い出す他人。

etcetc

自分と一体化してるから、
距離を取れずに悩みの渦中へ
ぐるぐると入り込んでしまうだけ。

その外に出たら、思いの外
解決策や別のことが見えてくる。

悩みや不安でいっぱいにして、
人生の暇つぶしをしてるだけ。

ビックリだけどそんな時もある。


猫はこういう悩みなくていいな。

でもって。

他人への言葉をぜーんぶ自分にして
当て嵌め過ぎても苦しいからね。

自分と向き合い過ぎて苦しむ人は、
ほどほどがいい。

そうでなくともこの年代になって
人生、ほどほどがいいと思う。