50代独身(元無職)になりました

50代独身無職。最愛の父の死後、おひとり様の日常。

それでもわたしは女性なのだ

おでけけです。

 

今日で術後6日目。おかげ様で体調もだいぶ戻ってきて良い感じです。よく歩いた方がいいと言われるので、昨日は病棟から出て近くのドラッグストアやお店でおやつや靴下なんかを買って来ました。

そしてなんと!!退院してないのにお家に帰ったんです(爆)良い子は真似しないでね。

 

おでけけ家は病院から歩いて5分掛からない距離🏠にあります。このまま行けんじゃね?とゆっくり歩いたら問題なく我が家に辿り着きました。友人と猫さんは、普段通り生活していて嬉しくなりました。猫さんなんてもう、わたしに余所余所しくて友人に慣れているではありませんか!!(泣)

…なんて世渡り上手な子ッ!!

退院後、どこまで日常生活が出来そうか不安でしたが、今の状態なら一人でも問題なくやっていけそうです。嬉しいな✨しかしあまり元気だと、ご近所組合いの神社の当番に出席しなければならないので、そこは手術したお腹がね〜まだね〜などと隣の伯母に訴えようと思います。人間、嘘も方便です。

 

手術して思うこと。それは子宮全摘したけれど、それでもわたしは女性であることには変わらないんだなあということでした。

 

悩んで悩んで手術に踏み切ったけど、結局子宮があってもなくてもわたしのまま、なにも変わらない。女性であることも。。失ったのは大きな子宮と筋腫だけど、これらに気づけたことは、実はおでけけにとって大きな収穫だと感じています。

 

実る秋。一人で祝う収穫祭。心の中でたわわ哉。

 

色んなコトバに翻弄されまくりました。

 

どこかで見た「女は子宮で考える」というコトバ。子宮全摘したら、考えられずバカになるのかもしれない。ただでさえ足りないのに。だけど待てよ。子宮が思考するならば、普段考え過ぎて動けなくなるのだから、逆に思考に振り回されず意外と楽かもしれない。

 

別の総合病院で女医さんに言われた「子宮は赤ちゃんのベッドなだけ。必要ないなら取っても問題ない。」のコトバ。

 

たかが赤ちゃんを宿すベッドとしての内臓か。独身で子どもを産む予定のないわたしには、確かに必要ない。だけどだけど、なにか引っかかる。他人だからそんな事言えるんだ。こっちは腹切るん本人だ!となんだか腹立たしかった。

 

子宮=女性である証拠

 

そんな風に思っていたおでけけ。元夫に「子ども産まなきゃ離婚だな」と言われたコトバを、20代からずっと握りしめていた。子宮全摘したらわたし女では無くなってしまうの?またあの時と同じように捨てられてしまうの?ああ嫌だ、あんな想いはもうしたくない。

 

たかが子宮されど子宮。だけど取ってしまうなんて「自然じゃない」=悪だとも思いこんでいた。

 

40代前半に見つかった筋腫の赤ちゃんたちは、時間をかけて音もなくジョジョに育っていく。40代後半から膨満感、圧迫感、疼痛、尿もれ、頻尿等の様々な症状を発し、子宮を筋腫ごと摘出する手術をする!!と決めるまで振り回され、向き合ってきた。

 

その間に母を。そして一年前に父も失った。わたしを愛してくれた両親はもう居ない。こんなヘタレな自分、これからどうやって生きていこうと途方に暮れた。

 

実家の総片付けと断捨離。相続手続きに励んでいた時は夢中で楽しかったけど、落ち着いてくると目標が見つからなくて不安定になった。

 

子宮全摘手術をするに決めて良かったと今思えることが幸せ。散々過去に振り回されてきたコトバやトラウマたちはすべて「幻」だとわかったから。

 

お腹の不安とこれからずっと一緒にいることのメリットデメリット。この先、まだ生きる予定だから、自身の感じる不安は出来るだけ取り除いてやりたい。。

 

昨日、彼と電話した。子宮全摘のことももちろん知っている。子どもも産めないし、しばらく性行為もしてない。だけど彼は嬉しそうに笑って言う。

 

まったくおでけけは面白いなぁ。癒やされるなぁ。かわいいなぁ。会いたいなぁ。

 

わたしが今まで付き合ってきた男たちのように、子どもを産む産まないに関わらず、変わらず接してくれると彼との付き合いに幸せを感じられるし、これからも大切にしていきたいと思う。それはある意味、トラウマを作ってくれた彼らのおかげなのだ。

 

傷つけた男たち。その傷を癒やすのも男たち。わたしも今まで何人もの人たちを、知らずに傷つけて来たのだと思う。淑女だなんて思ってはいない。生きているのだもの。

 

悩みとは。

本来持ってるのに「最初からある」のに「ない」と勘違いした状態で、実は最初からあったんだってことを思い出すためにあるんだって。

 

…とカウンセリング時によく言ってたけれど、すっかり忘れてる。忘れてたらまた思い出してΣ(°꒳° )ハッ!としてグッ!( ˶ー̀֊ー́ )੭"と来てパッ!(ノ*>∀<)ノと目覚めて落とし込めばいい。

 

子宮があってもなくても、子どもがいてもいなくても、わたしはずっと前から変わらず女で、女性なのだ。

 

これからウエストのラインがあやふやになっても、それでもわたしはやっぱり女性なのだ。

美味しいものもまだいっぱい食べたい。父母は居なくなったけれど、目の前の人たちと幸せな思い出を作って行きたい。

 

手術をしてより思うことは、家族もいないし独りだけど、人に助けてもらえたことの有り難さと、生きてるだけで素晴らしいんだということ。考える、腕を動かす、行きたいところに自分で歩いて行ける。寝る、食べる、おしゃべりする。なにか人の役に立ってなくても、自分であるだけで本来みんな輝いてるんだってこと。

 

もうそろそろ退院。色んな人たちのおかげ様。おかげ様が身に沁みてわかる熟女になりました。お父さんお母さんありがとう。

 

おでけけ由花子