父が亡くなったあとの50代独身無職生活。
最愛の父が死んだのに、
悲しみに暮れることはほとんどなくて
あれ?
父のこと好きだったのに、わたしは心から
冷えすぎてるのかも。と思うことがある。
何も手につかなくなる人
遺品さえ見ることが出来ない人
鬱になってしまう人
逆に元気になる、安心する人etc
大切な人が亡くなったあとの反応は
もちろん人それぞれのなんだけどな。
兄嫁さん曰く
「今はやることがあってなんとかなるけど、
後から悲しみと寂しさが来る。」と。
「わたしも今でもそうだから。」と。
兄嫁さんは苦労して生きてきた人だ。
だからこそ強い絆で共存して生きて来たはず。
お母さんが亡くなった穴はそれこそ
大きくて深いのだと思う。
でも一方わたしは...
そんなもんなのかなぁ。と思いながら
父母たちを思い出せばもちろん
泣けるけれど、なんだろう。
兄嫁さんの言うイメージと違うんだよな。
ぽっかり空いた穴が寂しいものじゃなく、
この穴に沢山の贈り物が与えられてたんだ。
な感謝の涙😿溢れちゃって。。
そこに確かにある存在がいたからこそ、
無くした感覚がある。最初からなかったら
寂しいも悲しいもありがとうもない。
家族っていう執着を感じさせてくれた
あなたの存在が愛おしいって気持ち。
後悔や懺悔もたくさんある。
後悔や懺悔を感じさせてくれるほど
一緒に居てくれてありがとうって。
今、最愛の父はいない。
母もだ。この事実は変えられない。
父が死んでしまったらどうしよう。と
逆にもう、怯えることがなくなった。
お父さん今日も生きてるかな...
お父さんお父さん、死なないで。
と毎日祈るように
弱っていく父を確認すること。
こっちのほうがストレスだったのだ。
ワカラナイ。が怖かった。
父が死んだ後のワカラナイは、もうない。
だって今、ここにいるから。
今を生きて、そこそこの
しあわせを感じていられること。
なにもないけど素晴らしい気がするのは
大事な人が亡くなって価値観が変わったから。
生きてる。動いてる。
自分で動けて排泄できる。顔を洗ったり、
身体洗ったり自分で清潔に出来る。
人とまあまあコミュニケーションも取れる。
買い物に行けるし、こうしてブログも書ける。
こうなりたい憧れの人もいないけど、
そんな自分も悪くないって思える。
よくやってるじゃん。
って思えることさえ増えてきた。
なぜなんだろう。
無職なのに。
持病もあるのに。
手術するかもなのに。
どうなってしまうかなんて突き詰めれば
いくらでも考えられることなのに。
父がいてくれた感謝ばかりでさ
涙で画面が見えないわ。。